秋田県:十文字映画祭

投稿日: カテゴリー: 店紹介欄

パーフェクトレボリューションという映画がある

リリーさんは舞台挨拶で

「自分の友達ですけべでひまあったら女のえろいところを

盗み見たい、おこぼれにあずかりたいやつがいて

その映画で。いまラーメンを食べたがそこのトイレに

携帯を忘れてそれが気になって気になってすみません

気概のある映画ばかりなのにこんな映画ですみません」という

わては最初の10分をみて映画館を出た

パンフレットが24部しか用意されていないという

リリーさんは誰も買わなくてあまってしまったらどうするんでしょうかね

みたいなことを言っていた。

障害者(障害を持つ友人をリリーさんが演じている)が

本屋で女店員が本をとるときに下からなめわますようなアングルで

あそこやらパンツやらを映し、お金払うときは胸をなめるように

映す。充分だった。私には。それがすべてだった。この映画の。

リリーさんもいっている。そのとおりの映画みたいだった。

だから私には充分だった。

 

そこでパンフ24部の中の一人には入れないと確信したから

そのパンフとリリーさんの字がみたくて

パンフレットが売られているストーブのある場所へ移動した

2時間ほどずっとそこへいた

リリーさんが

会場中をなめまわすように徘徊していた

どんな映画がきていてそれにまつわる作品脚本かかわる俳優など

情報をインプットしてから

横手市のくだらない記者会見と写真撮影に応対していて

横手市はしょうもない未来構想を他人(リリーさん)に

うかがっていた。リリーさんがか細い声で答える。

はずかしくってためいきがでる

こんな小さい町のいいところをむりやりリリーさんから

いわそうと誘導尋問しているかのようで恥ずかしくって

背を向けてストーブにずっとあたっていた

そんな考えしかない村でずっと生きてきた

コンビニもカラオケもなかった隣町の湯沢に住んでいる私にとって

そんなこと他人(リリーさん)にきくなよ

と思い落ちこんだ

そんな場所で生まれ育った

ずっとずっと窓の外をみていた

しんしんどかどか降るふきぬけの窓をずっとみやった

自分家から車で15分しか離れていないここ十文字映画祭

十文字は湯沢と横手の中間で十文字町は横手市に属す。

市町村合併なのかはたまた最初から十文字であったかさえおもいだせない町

横手市の記者も秋田県の地方新聞も秋田県にあるメジャーなマスコミはこぞってかけつけた

未来展望を都会の芸能人にゆだねている

真逆なところにいるのに

 

苦しい。ずっとずっと窓をみやる

かばんをごそごそをやると関係者が私のまえにきて

口に一本指をたててしーっとやる

私が動きをとめると頭をこくりとうなづく

こんな村

りりーさんだってたいしたことはなしてないのに

それよか私の意見きいたほうよいんでないかと思う

ストーブのまわりには二つ売店がでていて

一つは障害者施設がつくったいろいろなものを健常者が売っているブース

一つは道の駅の人が売っているブース

リリーさんはそこで何か買うと

私とななめむかいの距離をはかってすわり

ぼそぼそとたべちらかした

時々関係者にコーヒーいりますかと気をつかわれながら

いいですと遠慮しながらその二点の売店ブースを気を使って購入してあげて

それでけっこうそこに長くすわっていた

いろいろな人がサインをもらったり写真を一緒にとってもらったりしている

ずっとずっと窓の外をストーブに座りながらみていた

雪しかない町の雪をみていた

2時間後ようやく映画終わる。パンフレットは映画が終わってから売り出すということなので

買いにいったら、舞台挨拶が終わってからという。パンフレット売り場のくだらない規制と小さないじわるである

私は2時間ずっとまっていた

別に今この2時間ずっとまっている目の前の人に売らない理由があるんだろうか

そんな村である

そうして

けっきょく

その2時間まっているストーブのやつより会場からはしってきたお客の一人が買うのをみて

そうして

私にゴーサインをだした

なんだそれ。そんな村

その会場から走ってきた一番乗りの人は障害者の介護者で

障害者をおいてけぼりにしてそのパンフレットを買い求めねばならなかった

24部ってそんな数字である

その24部争奪戦が静かにはじまった

それは村八分をするときのように厳かにおこなわれた。

パンフレット売り場には5人の女性がいて。彼女らは2時間ずっと待機していた

そこには不毛があった。

一番乗りの障害者とその介護者は私の前にならんでリリーさんのサインをまつ

24人だけサインがもらえた(パンフレットを購入しないと権利がない)

私が最後尾だった。

障害者(車いすだった)の番がきた。秋田県の主要なマスコミがこぞって

写真をとる

横手市があとから取材をもうしむというルートがもうできあがっていて

ふだんその障害者になにもしない横手市がいろいろと笑みをうかべながら

近づいてきた。障害者は見回したところその人ひとりだけのように思われた

記者は最後尾にならんでいるわたしも障害者だとはまるで思っていない

まあ、あたりまえだ

障害をもっている車いすの人の握手会とサイン会と記者会見がはじまっている

そのわきで静かにマフィアから銃をうけとるみたいに

リリーさんがサインをかいた

「下の名前は」とリリーさん

「やよいです」

「ストーブの前にいた人だよね」

「はい」

これだけの会話

頭をさげて丸坊主の私はその場をスナイパーのように静かに去り

パーカーのフードをパンフレット売り場の女性の前で深々とかぶった

そして一日券をもってほかの映画を切り捨てて帰る

頭の中で

「ストーブの前にいた人だ」が

こだまする

 

リリーさんが批難していっているのか(映画をみてなかったから)

記号としてストーブの前にいた人といったのか

は自分にはどうでもよいが

2018年の2月12日 大寒波で丸坊主のただの障害者の私

と距離をおいて斜め向かいにすわりしばらく一緒のときを共有した

というそんな人生の交差点を考える

 

ここに書き出すまでのことでもないかもしれない小さな出来事である

その証拠に夜中に起きだして書いているものだから

旦那が後ろにじっとたって

「ねないのかなと思って」といいながら

「ねない」といってそのままこれを書いていると

「何をしているんだろうな」という

何の意味もないことしているというニュアンスを含ませて

続けていう

「いったいなんになるんだろうな」

 

まるでこの作業は不毛かのように捨て台詞をはいてぶすりとでていく

旦那のいうように

 

後味の悪いものをかかえながらサインをもらった自分が一番ぶさいくに思えた

 

こんな村に住んでいるこんな女がここにこんな文章を書いている

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