雪山童子

投稿日: カテゴリー: マーマンとの人生不思議帖

山小屋密室編

雪山登山で一緒になったまーまんとの対話である

「まーまん、文章をかくってどういうことかな」

「作家になるってどういうことなんだろ」

よくわからないけどさ、わたしにも小1,2年でも理解できる。全然わからない子供でもイメージできるようにやよいちゃんがでないようにするべきじゃない。やよいちゃんがでちゃうと入りにくいし、とっつきにくい。頭いい人ならその頭のよさでかんじとれるがそうでない人もいる。文章をかんじることは自由。こうこうこうなんである。こうこうなんじゃないかな。それはそういうものなんだけどものの説明ならいいがはーなるほどと思える物語でなくしてほしい。〜である。と最後にくると読んでて想像したのとちがってこけてしまう。ちがうなとおもって読者が離れるんじゃないかな。いろんな文章を残す選択してほしいと思うなあ。

自分の我をなくしてかく。食べ物や物質ならいいけどさ。例えばりんごね。味はこういうかんじ売りはこうとか。でも物語ってなるとおおっとおもって、ほわーんとイメージできていたのがアッちがってたんだとなると読者離れると思うよ。自分を主張してはいけないと思うよ。

フィクション(物語)はすべての人に自由である。〜であるとなると物語りでない(ノンフィクションになってしまう)

やよいちゃんの書いた、色の欄の

みずいろのおはなしがやよいちゃんの頭の中のサイダータウンの一部が形になったってこと

「あれがサイダータウンかー。」

 

そうだよ。

哲学的なやつじゃなく決めつけるやつじゃなく。人それぞれのイメージが生きてくる文章がナイス。自分サイズなんだね。オートクチュールなんだね。相手に自由を。オートクチュールでなくフリーダム。

「私が作ってやる感覚だった。」

 

自分は書きたい感情だけで相手には無限の創造性を与えること。決めつけるイメージをもつとかダメ。今日読んだ感想と明日読んだ感想がちがうくらいイメージが広がりやすいものにする。人の感情は一秒違えばいいことも悪いこともすごく変わるから。相手のイメージを壊さないってことは自分を殺すことじゃないからね。遠くを目指すんなら近いとこにどれだけ重点おくかで遠くのものはいいも悪いもかわるよ。すべてが手が届くとこから理解して身の丈にあわせて焦らないで地道によ。若いうちはありだけどもう回り道する時間はないから。お互いさんざんいろいろ見てきたはずだからがんばろうね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です